なんかネタに困った。
なのでとりあえず技術と社会のときに書いた小論文の原文でも晒そう。
読みにくい?当たり前です。
整理なんてしてないのですよ
昨今、医療問題について話題に上がることが多くなった。医師不足やら、放射線治療やらがその類だ。ここでは、生命科学が医療に及ぼす影響、しいては我々に及ぼす影響について述べようと思う。生命科学とは、第二次大戦後、急速に発展した分野で、その発展により様々な技術が生み出されてきた。それは、生殖技術において如実に現れているといえる。たとえば、体外受精や借り腹などといった、不妊治療などがそれに該当する。体外受精は、対外で精子と卵子を受精させ、その受精卵を着床させるという手法だが、このとき複数個の卵子が排卵される。この精子、卵子、受精卵は何年にもわたって保存が可能になっている。ここで考えてほしいのは、その受精卵らを保存する意義である。実際、海外で起こった事例だが、体外受精で子供を授かった夫婦が、そのとき得られた受精卵が保存されているのを知り、もう一度それを使って妊娠することを望んだ、という例がある。別段不思議なことではないように思えるが、これには大きな問題が含まれている。例えば、その夫婦より1、2世代後にその受精卵が利用され、それにより子供が生まれたらどうだろうか。もちろん、受精卵が得られたのは1、2世代前なので、本来生まれてくるべき時代より1、2世代遅れて生まれてくる。それならまだ良いが、その夫婦が別に子供をもうけていたらどうだろう。同じ両親を持ちながら、年の差は親子並みという不可解な現象が起こる。また、別の夫婦がその受精卵を使って妊娠したいと言ったらどうだろう。生まれてくる子供はその子を産んだ夫婦の遺伝子を受け継いでいないことになる。確かに、産んだのはその夫婦ではある。だが遺伝子情報は別の夫婦のものとなる。その夫婦が別に子供をもうけなかった場合、生命の最終目的とされる「自らの遺伝子情報の保存」に反した行動であるといえる。このようなことが続けば、何れはヒトの遺伝子は同じようなものばかりになってしまう。そもそも不妊というのが病気であるのか疑問に残るし、そうでないなら不妊治療は医療とは呼べず、またその夫婦を患者とも呼べない。この問題に関しては、医者側が対応しきれていない面も見られる。もし「患者」の訴えが至上のものであるなら、有能な精子や卵によって得られた受精卵を使って妊娠したい、といった要求にも応えることになる。もしそうなれば、皆が皆同じようなDNAを持って生まれてきて、いずれはそれらとその子孫が世界中を埋め尽くすことになる。生命科学の抱える問題は、その更なる発展によって、ヒトの倫理、つまりヒトという種としての、また個人としてのアイデンティティを崩壊させてしまうのではないか、ということである。この問題は、技術自体、あるいは技術を扱う人を問題にしているので、単純な解決策など見つかるはずもないだろう。これに関しては、議論に議論を重ねるしかないようだ。
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