自分の進んできた道が、今の自分にとって誇りとなるかどうか。
自分の選択が、本当に正しかったのかどうか。
自分の生き方が、自分で美しいと思えるのか。
自分から自分への問いだから、そこに答えなんかあるはずもない。答えがあるなら、初めからこんな疑問は浮かんでこないのだから。
自分の道が誇れない。
自分の選択は正しくない。
自分の生き方は美しくない。
きっと心のどこかでそう思ってるんだ。でもそれを肯定したくなくて、疑問と言う形にしてうやむやにしているんだ。
人とは得てして考える生き物である。考えることは悩むこと。悩みは間違いから生まれるもの。
自分の道を間違えてしまったのなら、それは一生の悩みになる。「どうしてこんなところに来てしまったのか」とか、「こんなはずじゃなかった」とか、言葉は尽きない。
疑問と言うのはそれらに対する、ある種の諦めなのではないかと考える。
さて自分の道についてだが、私はまず間違いなく「道を誤った」と第一声を上げる。
大して電気も機械も好きではないのに高専にきたのが間違い。これが一番大きい。自分で自分の青春を捨ててしまったことになる。
「これなら普通高校行って大学行って、普通の人らしく生きたかった」とか、たまに思う。
正直なところ、機械も電気も情報も制御も土木も、何一つ「これが好きだ、これがやりたい」と思うようなものが無い。興味をそそるような教科はいくつかあるが、それらはやはり趣味の範疇を出ない。
高専に入ってから、「自分で決めた」道を誇れるというものがない。そういう活動をしていなかったのもあるのだけれども。
ただ起きて、食事して、クソの役にも立たない講義を聞いて、家に帰ったら帰ったで惰性で時間を潰し、寝る。
そんなのは生きていると、私は言いたくない。
結局、自分の道に自信が持てないというのが、早い話。
と、ここまで意識して堅苦しくしてたけど、こっからいつもの調子。
どうして突然こんなこと言い出したかっていうと、まあ、俺には技術者以外の道があるのかもしれないな、って思ったことがある。
俺が本当にやりたいこと、それはやっぱり電気とかの分野には無いんだと思ってきた。
これは自分の世界観とか人生観とかを見つめてみて思ったこと。
自分で考え、泣いて、笑って、怒って、喜んで、そうして自分の感情に素直に生きている時がやっぱ人間が一番輝く瞬間なんだと思う。
どんなに苦労したとしても、どんなに失敗したとしても、達成できた時の喜びに勝るものはないと思う。どうにも機械って、そんな喜びを奪っていくだけに思えて仕方ない。いや俺の私見だけどね。
確かに情報発信とか遠距離間通信なんかできれば便利だけどね。
だからってわけでもないけど、携帯が音楽プレイヤーになっていたりするんだけどさ。来るメールとか基本無視です。電話なんか出ません。あ、どっちもめんどくさいだけだった。
要するにね、人の喜ぶ顔、怒る顔、声、そういったものは離散信号で受信したくないんです。
というのがリア充に憧れる海草の考え。
うん、どう考えても、絶対に技術者なんかより俺に向いてるものがある、そう思う。まあそれがなんなのかはおいといて。
あ、太陽電池関係でいいとこ探そう。
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