特に言うことのない節だなあ。
まだミラージュ戦じゃないし。
正直、この節いらないんじゃないかと。
レフォーナはテレポーターのある部屋から出て、長い通路を一人歩いていく。
「…さしずめ、この先に待っているのは死神…ってところかしら」
ゆっくりと歩を進めながらの言葉。微かな呟きでしかないその言葉が、通路に反響して遠くまで響くかのようだった。
死神の待つ場所へ、レフォーナは進んでいく。
「それとも、私のほうが死神なのかもね」
長く、暗い通路。
だがしかし、この鬼の巣食う道を、蜃気楼は照らしてはくれない。
それは何の暗示か、レフォーナには考えるまでもなく分かっていた。
「でもね、ミラージュ。私は本当に、あなたを手に入れたいと思っているのよ」
放つ声全てが、黒い壁に吸収され、二度とレフォーナの耳には戻ってこなかった。
…何年ぶりだろう。
いつしかレフォーナはそう思うようになっていた。
三百年かけて、ミラージュの大体の在り処を突き止め、ウロウ島へと辿りついた。そこでトーマスと出会い、クライネと出会い、ディスティルたちと出会い…。
いつしかレフォーナの周りには常に人が集まるようになっていた。
吸血鬼としての自分を知らずに、一人のエルフの魔導師としての自分だけを見ていた。仲間としての自分を。
けれど、本当の自分は敵。蛮族という、人族にとって倒さなければならない存在。根絶しなければならない存在。蛮族にとっても、人族とは「自らの下位種」であり、いたぶる対象、自らの欲望を満たす道具、そんなところだろう。
そうした概念があるゆえ、人族と蛮族は相容れない関係にある。その本質こそ、変わらないと言うのに。その本質こそ、真実だと言うのに。
魔動機文明時代、人族は蛮族を地上から駆逐した。そういったことや、大破局における蛮族の侵攻…。それらが人族と蛮族の間にある軋轢を如実に表している。
それでも、レフォーナにとって「一人ではない」ことがどういうことだったのか、想像に難くないはず。
もはや、レフォーナにとって彼らは、「人族」と「蛮族」という、種族間の垣根を越えた存在になっていた。
もし彼らが真実を知ったら、どうするのだろう。…間違いなく、レフォーナと対立する事を選ぶだろう。それが、普通の人族の考えだ。
そうなった時、レフォーナは彼らと闘えるだろうか。
「…もう、引き返せないわ。ここまで来てしまったんですもの」
暗闇に満たされた通路。
その先に待つのは、光か、それとも更に深き闇か…。
「よし、こうなったらどっちが偽者かはっきりさせようぜ。俺たちがお前たちと戦って、勝ったほうが本物で負けたほうが偽者だ!」
「望むところだ!」
と言った風に、カオスな空気が一瞬にして戦闘時の張り詰めた空気に変化した。
ディスティル、トーマス、オウル、シュルヴェステルはそれぞれ、彼ら自身を相手に選んだようだった。
それぞれが、それぞれの戦いを始めた。
ディスティルは、霧のディスティル…偽ディスティルに殴りかかる。偽者はそれを左腕でいとも簡単に受け止め、反撃に右の拳を放った。
間髪入れずに偽者は両の拳をディスティルに叩き付ける。両者とも間一髪で避けるが、それが長続きするはずはない。
「どうした、お前!」
その「お前」は、「俺」でもあった。偽者の言葉ではあったが…いや、厳密には偽者ではない。
どちらも本物であり、どちらも偽者なのだ。
「うるせーよ、お前は!」
拳を避け、蹴りを避け、時に捌き反撃を繰り出す。
その行為の最中ではあるが、まだ喋る余裕はある。
「お喋りが過ぎる、ってか。それはお前もだろ、なあ?」
「抜かすな!」
「だがなあ…俺はお前とは違うんだよ!」
その「俺」は「お前」でもあり、「お前」は「俺」でもある。今目の前にいて、戦っているこの男とディスティルは、全く同じ存在だった。
偽者の放った左の拳が、ディスティルの腹を打ち、右の拳が頭を打ち、ディスティルは吹っ飛ばされる。
素早く起き上がると、ディスティルは構えなおし、更に続く攻撃に対処する。
「確かになあ、俺はお前から生まれた。だが、俺は今、はっきりとお前とは違う存在だということがわかるぜ」
そう言い放つ偽者の声は、全方位から聞こえてきた。上、下、右、左、前、後ろ、どこからでも聞こえてきた。
なのに、偽者は今ここにいる一人のみだった。
「…俺から生まれた?」
「そうだ。このミラージュの霧は、これに映ったものを実体化させる。そのものの最も強き力を共にして」
「どういうことだ?」
言葉に気をとられた所為か、ディスティルはまたも偽者の攻撃を受けてしまう。血の固まりを吐いて、ディスティルは反撃にと至近距離からの《聖弾》を放った。…しかし、それは軽く弾かれてしまう。衝撃波の塊が宙を舞い、やがて消え去る。
「お前は俺には勝てねえ!」
偽者は肘をディスティルの腹に打ち込み、そこから回し蹴りを繰り出すが…。
――戦エ。
途端にディスティルの角が肥大化し、偽者の放った回し蹴りは右腕一本で受け止められた。
ディスティルの目は閉ざされていたが、僅かに赤い光が漏れ出している。痣も赤く発光し、角や背中に現れた《穢れの刻印》から瘴気が吹き出し始める…。
二つの目が開かれ、鋭い眼光を偽者に向けた。
「来やがったな、悪魔が」
悪魔は偽者に魔力を込めた拳を放つ。
武器に込められたマナが光を放ち、偽者の目を潰そうと周囲を激しく照らす。光の軌道はまっすぐに偽者に向かい、避けようもない攻撃を放ってくる。だが…。
その攻撃は止められた。
「っと、あぶねえあぶねえ。もう少しで当たるところだったぜ」
攻撃をカウンターすることを選んでいたら、確実にその攻撃は当たっていた。今までディスティルが培ってきた戦いの技術、そして持ち前のセンスが、皮肉にも偽者の回避力の糧となっていた。
すかさず連撃。魔力の込められたナックルダスターが軌跡を描いて偽者に直進する。
「同じ手は食わねえ!」
今度は、悪魔の左腕はあっさりとかわされ、その反撃にと偽者は悪魔の懐に飛び込む。
如何な攻撃であろうと、必ずその技には封じ手が存在する。特に魔力撃の場合、攻撃の後に生じる隙が大きいものとなるために、本来ならば他者のサポートが必要となる技なのだ。
今回の場合、悪魔が放った魔力撃はその反動で動きが一瞬だけ完全に停止するために、攻撃を避けきった後のその無防備な状態が弱点となる。
「悪魔の力はその程度か、元ディスティル・ロッド!」
偽者はディスティルに魔力を込めた拳を懐から放つ。完全な接触状態からの攻撃である分、体の捻りを加えられない点で通常より威力が落ちるが、確実に当てるにはこうするしかない。
だがしかし、あろうことか悪魔はそれを受け止めたのだ。
「何…?」
「ォォォォォ…」
悪魔の口から聞こえてくる、ささやかな雄叫び。
偽者の拳は、右腕は、悪魔の両手で完全にその勢いを失っていた。更に強大な力で偽者の腕をもぎ取らんとしている。
右腕に、肩にまで、そして体全体にその痛みが余すことなく伝えられ、偽者は腕がいくつにも引き裂かれる感覚に苛まれる。
「うっ、うおおおあああああああああ!」
左の拳でなんとか悪魔を引き離すことに成功するが、受けたダメージは尋常ではなかった。
だが、今の一撃で悪魔にも相当のダメージが来ているはず。
条件は五分のままだ。
「思ったよかやるみたいだな」
悪魔は返事をしない。
ただ、偽者に拳を振るい続けるのみだった。
「同じ《穢れの刻印》持ちの戦いだ。何が起きても知らねえぜ!」
《聖弾》が交差し、時に《神の拳》が舞い、時に魔力撃による殴り合いが続く。
その戦いは、今この場で起こっているどんなものよりも苛烈で、同時に無意味なものであった。
右の拳、左の拳、そのどれもが打ち合い、消し合い、衝撃波と衝撃波がぶつかり合って、互いの力が全く互角なまま、その戦いはあるきっかけを以って終結することとなる。
「うおおおおおおおおおお!」
「ウガアアアアアアアアアッ!」
悪魔と偽者は、膨大な魔力を込めた拳を地面に叩き付けようとする。しかも、そのタイミングには殆ど違いが見られない。その差たるやほんの一万分の一秒にも満たないほどの、微小なものだった。それはもはや、一瞬と呼ぶには短すぎ、同時と言っては長すぎるほどの時間でもあった。
両者の拳が地面と激突し、周囲に衝撃波が走る。二つのそれはぶつかり合い、互いを消し去ろうと一進一退の攻防を繰り広げる。
だが、全く同じ魔力、全く同じ威力の二つの衝撃波は、お互いをかき消す以上のことはしなかった。
それ以上の動きは、しばらく起こらなかった。
拳闘士同士の戦いは、何もディスティルたちだけのものではなかった。
オウルとその偽者…鏡像のオウルもまた、戦っていた。
激しすぎるディスティルたちの戦いに比べれば、それは見劣りするものだったかもしれないが、それでも少し格闘技をかじっただけの者にとっては到達しようもない領域であった。
練技によって生やされた尻尾が偽者に襲い掛かり、対して偽者は尻尾の動きに会わせて動き、尻尾を捕まえることに成功する。
「やあっ!」
尻尾をつかんだまま、偽者は十分な回転を加えた後、オウルを投げ飛ばした。空中では体の自由が利かないために、オウルは何もできないでいた。地面に激突し、二、三回バウンドして床を転がる。
そこから練技によって強化された脚力を生かして、助走をつけてから跳躍し、オウルの腹目掛けて膝蹴りを繰り出す!
「ほわっと!」
咄嗟に床を転がってその攻撃を紙一重で避け、全身のばねを生かして起き上がり、反撃の拳を叩き込む。
偽者は両腕を交差させてその攻撃を受け止め、オウルと距離を取る。
それからしばらくの間、互いが動かない時間が続く。
お互いがどう動くか、読み合っているのだ。
途端に、二人同時に構えを解いて、笑い出した。
無邪気に、朗らかに。
「やっぱり強いね、アナタは」
ひとしきり笑った後、偽者が言う。
「そっちこそ」
「いいや、あたしはアナタが強いから強いだけだよ」
偽者の言葉は、謙遜と言うには不自然すぎた。そのことがオウルの頭で引っかかって、すぐには消えずに残っていた。
「どういうこと?」
そう聞きはするが、感覚として、既に偽者たちの正体、そしてその言葉の意味は分かっていた。
あえて訊ねたのは、その仮説を真実だと確かめるためだった。
「あたしはミラージュの霧によって生み出されたの」
「そう、例えるならば…私たちは鏡に映ったあなたたち。姿形や知能、その能力でさえも全くあなたたちと同じ。故に、私たちはあなたたち。故に、私たちとあなたたちは全く同じ存在。偽者でも本物でもない」
そう説くのは、鏡像のシュルヴェステルだった。
「だとすれば、今ここで私たちが戦うことに何の意味があるのでしょうか?」
シュルヴェステルは自らの鏡像を見据え、言った。
確かに、全てが同じであったら、同じ能力を持つもの同士、戦うことに何の意味があろうか。
戦術も力量も、思考さえ読めてしまう両者の戦いは、不毛でしかない。
何も考えないもの同士の戦いであれば、先手を取った方が確実に勝つ。そうでなくても、大して変わりはしない。
「無い。意味なんか、初めから」
「だったら、何故ミラージュはこんなことを?」
「ただの遊び。余興でしかない」
「それは最初にミラージュ自身の口から聞きました」
「ミラージュは、こんな戦いの決着などはどうでもいいと思っている。あなたたちが敗れればそれもよし。私たちが敗れれば、今度は自分が戦いの場に馳せ参じる。あなたたちはただ、ミラージュの気まぐれにつき合わされているだけ」
シュルヴェステルたちが負ければ、自身を持つ資格を持つに足らぬものだと吐き捨て、鏡像が負ければ負けたでそれもまた良し。
更には、この戦いに決着がつかなくても、どう転んでもミラージュにとっては好都合ではあった。
「はた迷惑なことですね」
「ただ、この余興はミラージュ自身がこの場に現れるために要する時間の間、その時間に退屈させないようにする、言わば暇つぶしのようなもの」
「と言うと?」
「ミラージュが準備を整えたとき、私たちの役目は終わり、改めてミラージュ自身との戦いが始まる」
「…ミラージュが現れるまで、あとどれくらいあるのです?」
「半日」
「長い!」
「だからこそ、実力も思考も全く同じ、あなたたちの鏡像を呼び出した。そう簡単に決着がつかないように。あなたの体力が尽きるとき、私の体力も尽きる。そしてあなたの体力が戻るとき、私の体力も戻る。疲労感だけは鏡像と本物、どちらも共有する」
二人のシュルヴェステルは、お互いに両手の銃を向け、同時に起動語を唱える。
「マギスフィア起動、ターゲット・サイト、ロック。スタン・バレット装填。発射!」
命中した対象を麻痺させる魔力が込められた弾丸が、四つの銃口から発射される。そのタイミングたるや、ほぼ同時…いや、鏡像の方が一瞬だけ遅れた。
両者共に銃弾をかわす。そして、そのまま動きを止める。
銃弾に魔力を込めた後は、時間にして約十秒間、マギスフィアが機能しなくなる。そのため、複数の弾に一度に魔力を込めない限り、連射は出来ない。
一回射撃を行えば、マギスフィアが再び銃弾を作れるようになるまで待たなければならない。このタイムラグが、言わば魔動機師の、銃士の弱点だった。
加えて、起動語を唱えなければならないこともまた、魔動機師の弱点である。その性質上、相手に悟られやすいため、銃弾を命中させるにはそれ相応の腕が必要になる。魔法とは違い、見えている相手に直接効果を及ぼすものが少ないことが、それに拍車をかけていた。
故に、魔動機師に求められるものは、味方が前方で敵を引き付けている隙に高火力の銃弾を敵に打ち込むこと。
魔動機師、銃士は決定的に前衛には向かない職業なのだ。
そんな二人の戦いなのだから、他で起こっている三つの戦いよりも遅い展開になるのは必至だった。
しかし。
だからと言って気の抜けるものの内ではないことを、その二人はよく知っていた。
「スタン・バレット装填、発射!」
互いのマナが尽きたとき、戦いは一時休戦となる。それを狙おうが狙わまいが、二人のシュルヴェステルには関係が無かった。
しばらくの間、起動語と、それに伴う銃声のみが、そこで響いていた。
トーマス・ベントとその鏡像は、お互いの槍によって壮絶なる攻防を繰り広げていた。
お互いの槍が交差し、弾き合い、戦いは全く互角だった。
「正直偽者とかそんなのどーでも(以下略)」
……これだからハックアンドスラッシュは…。
お互いパリィしまくりで決着が付きません。なにこれバグ?
レフォーナ・アルディは、足止めを食らっていた。
彼女の目の前には、オーガバーサーカー…数ある蛮族の中でも、知能が低く獰猛で、なおかつ強力な部類に入る、オーガの一種である。人間への変身能力は持ち合わせてはいないが、それを補って余りある戦闘力を持つ。
そのオーガバーサーカーが五体いて、レフォーナの周りを取り囲んだ。
(どうやらミラージュは、今私に近づかれては困るみたいね)
オーガバーサーカーたちは、手に持った思い思いの武器をレフォーナに振りかざした。
しかし。
「私をそんなもので倒せると思っているのかしら?」
レフォーナとオーガバーサーカーとの間に、何らかの障壁が発生していて、それが彼らの武器をレフォーナから遠ざけた。
獰猛な食人鬼は、その現象が理解できなかった。再び攻撃を開始するが、また弾かれてしまう。何度も何度も、同じことだった。
(いいでしょう、ミラージュ。あなたの遊びに付き合ってあげるわ)
耳飾りを外して、レフォーナは呪文を唱え始める。
「操、第十五階位の呪。邪雲、毒焔、変化――死魔光来!」
これを吸った者に死を与える毒雲が、レフォーナの周りに発生する。《死魔の雲》が及ぼす圧倒的な“死”の前に、レフォーナに尚攻撃することができたオーガバーサーカーは一体のみだった。
しかし、その一体ですら、あっという間に倒された。
「真、第十一階位の攻…閃光、電撃、破壊――落雷!」
オーガバーサーカーの振るった武器がレフォーナの体に触れるその瞬間、その悪鬼の体に稲妻が走った。体中に電撃が迸り、オーガバーサーカーは立ったまま絶命し、落雷による衝撃で体がばらばらに砕け散る。
その戦闘自体はあっという間に終わったが、間髪入れずに別の魔物が現れる。またもオーガバーサーカー。芸が無いと言うべきか…。
「いいわ、もっとゆっくり相手をしてあげる」
敵の攻撃を軽くあしらいながら、レフォーナは火球をオーガバーサーカーたちに打ち込んでいく。
それは、これから起こる決戦に比べれば、児戯に等しかった。
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