これで長く続いた痛い試練はおしまい。
レフォーナさん…(´;ω;`)ぶわっ
クライネ・フェーンハフトは、長い通路を一人走っていた。
山吹色の衣装に身を包み、メイル譲りの赤いマフラーを揺らして、彼女はただ走っていた。
もう大分時間が経っている。既に仲間がミラージュを手にしているかもしれない。
両親と共にいた時間は一日だけだったが、迷宮の一階層を攻略できるくらいの時間はあった。
「早く行かないと乗り遅れちゃうな。あと、この服みんなに見せたいし」
その刹那、急ぎすぎたのかどうかは分からないが、クライネは右足を前に出す途中で自分の左足に引っ掛けて転びそうになる。一瞬の間だが宙に浮く。その隙に魔法を唱える時間はあった。…こんなことにマナを使うのは忍びないが。
「浮かべ!」
クライネの体から地面に向かって強風が吹き、その反動でクライネの体は宙に浮いたまま静止する。と言っても、しっかり転んだ格好にはなっているが。
地面に手をついて起き上がる。
一応、服は汚れていない。というか、《浮遊》による風の所為でバタバタとうるさい。おまけに下からの風の反動で色々と危ない。
「…もういいよ、やめて」
クライネの声に応えるように、風が止む。
「それじゃ、仕切りなおしと行きますか」
そう言って、クライネはまた走り出す。
風になったかのごとく、彼女は走った。今度は転ぶことはなく。
「待ってろよ、ミラージュ。必ずお前を手に入れてやるからな!」
だが。
その宣誓は、既にミラージュには聞こえてはいなかった。
剣に切り裂かれた体は、まるで空間そのものが切り取られたかのように消え失せた。
血も肉も、そこに無い。
あるのはマナの奔流と、そこに乗せられた力だけ。
ミラージュの体は、既にバラバラになっていた。
「私はこのときを待っていた…。三百年の時を、この瞬間だけを夢見ながら。私は待っていた…。魔術の研鑽をしながら、私はあなたをずっと探していた。そして、遂にこのときが来た…」
その呟きは、誰に対して発せられたわけでもなく、自分に対して発せられたわけではなかった。自分でも何故、そういった言葉が紡がれるのかわからない。わからないが、知りたいとも思わない。
「あなたを倒したのは私よ。さあ、私のものになりなさい」
台座に刺さった大剣に対して、レフォーナは言う。すると、大剣はその姿を見る見るうちに変えていき、彼女にも扱いやすそうな細身の剣へと姿を変える。
“蜃気楼の魔剣”ミラージュ。
対峙するもの全てを惑わし、その魔力は持ち主の心すら惑わす、魔性の剣。それを振るえば太刀筋を見切られることは無く、また持ち主に残像を生み出すほどの素早さをもたらすと謂われる。
その剣は厳密には「剣」では無いとされる。ある伝承の一節には鉾槍と謂われ、またある伝承には棍と謂われる。伝承によってその姿はまちまちであるが、共通するのは「不死殺しの魔力を持つ」と言うこと。
そんな伝承の中、一際異彩を放つ説は、「“蜃気楼の魔剣”ミラージュには姿は無く、魔力だけがそこに存在している。その魔力を取り込んだ武器が「ミラージュ」となり、その姿は媒体に依存する」というものだ。
もしそれが本当なのだとしたら、ミラージュの魔力を取り込んだ武器は際限無く現れるだろう。
だからこそなのかもしれない。
本来、意思を持つ魔剣はあるにしても、それは以前の持ち主の意思が反映されている。だがミラージュに限っては、そうではないのだ。
ミラージュは自分の意思を持ち、自分を扱うべき者を自分で探せるのだ。その条件は、今更語るべきことではない。
「これで、私は『自由』…!」
どくん、どくん。
心臓の鼓動が早まっていくのが分かる。全てから開放される時が刻一刻と迫ってくる。ミラージュと共に、ずっと欲しかったものを手に入れられる…!
ミラージュの刺さった台座に、足を一歩一歩近づけていく。かつん、かつんとブーツの音が心地よい音を鳴らす。もうすでに、手を伸ばせばその柄を握れそうな位置にまで来ている。だがレフォーナは、限界まで近づいた。
右手で柄を手にして、左手を添える。
一気に引き抜こうとすると、突然肩を掴まれた。
振り替えるやいなや、その顔面に拳が突き立てられる。その軌跡が閃光となって、光の残滓が舞い踊った。
だが、その拳がレフォーナを捕らえることはなかった。ディスティルにも捕らえられない速さで、彼女は彼の後ろを取っていた。
「いきなり何、ディー?」
後ろからディスティルに杖を突きつけ、レフォーナは言った。彼はそれを振り払い、彼女と距離を取る。
周りを見ると、シュルヴェステルやオウルは一体何がどうしているのかわからないそぶりを見せており、トーマスはただ佇んでいた。
「何、じゃねえよ。どういうつもりだよお前」
そう言うディスティルの顔には、怒りの表情が見える。それがどういった要因によるものなのか、レフォーナにはすぐに分かった。
だが、あえておどけてみせた。
「どういうつもりって、ミラージュを手に入れるつもりよ。私たち、元々それが目的だったでしょ?」
「…そうじゃない。俺は何故お前が俺たちを騙してたのかを聞いてるんだ」
なるほど、とレフォーナは思った。
“始祖神”ライフォスの奇跡は、他者と分かち合い、調和を生む。だが蛮族には容赦などしない。そして、その奇跡の中には、蛮族を探し出すものもあるのだ。先ほど嫌な気配がしたのは、その奇跡によるものだったということか。
「お前、ヴァンパイアだな。さしずめ、ヴァンパイアリリィの一歩手前といった所か?」
レフォーナを睨みつけるその目は、どこまでも鋭い目つきをしていた。そして、それらは彼女の正体を正確に見抜いていた。
レフォーナはふっとため息交じりの笑いをこぼし、ディスティルを睨み返した。その二つの眼光には、欠片ほどの気遣いは無い。
ただ殺意と、その奥に隠された何かが感じられた。
邪魔立てするなら殺す。
その眼がそう語っていた。
「何を言っているのかしら。私は別にあなたたちを騙していたわけじゃないわ。ただ隠していただけよ」
「ふざけるな」
レフォーナの言葉に対して、ディスティルが吐き捨てる。
「ふざけてはいないわ。真剣に私は、あなたたちを騙そうとしていたわけじゃない。私の使命のために、協力してもらっただけよ」
「その使命とやらのために、俺たちはお前を仲間と思ってたのか?」
「有体な言い方をすれば、そうなるわね」
「それこそ、ふざけるなよ」
彼なりに必死に抑えていただろう語気が、激しくなる。
「てめえ一人の目的のために、俺たちはここにいて、ここで戦ってたと言うことか。オウルを蘇生させたのも、てめえの目的のためだっていうのか?」
気付けば、ディスティルはレフォーナに掴みかかっていた。だが彼女には動きは全く無い。微動だにしない。
冷たい目線をディスティルに向けるだけ。
「何が悪いの?」
「…てめえっ!」
叫んで、レフォーナに左の拳を叩きつける。彼女の身体を衝撃が走り、全身に行き渡ってそこかしこに逃げていく。しかし彼女は平静を保ったままだった。
「俺たちはお前のコマじゃねえ!」
怒りに満ちた表情で、ディスティルは言った。そこには、もはや情けや仲間意識などどこにも介在していない。あるのは、悪辣なる女吸血鬼に対する敵対心のみ。
そのことは、ディスティルにも…レフォーナにも理解できた。
「知っているわ。だから、私からは何の干渉もしなかった。何気もない言葉で私の望む方向へと誘い、私に都合の良い行動をするように仕向けた」
「同じことだ!」
「違うわ。あなたたちはあなたたち自身のためにここにいる。私のためにいるわけじゃない」
「影から俺たちを操っていたってことじゃねえか。そんなことをされておきながら、自分の意志でここにいると誰が納得できるんだ!」
「でも、現にあなたたちはここにいる」
「てめえが仕向けたんだろうが!」
「最終的な行動を決めたのは、あなたたち自身よ」
「ざけんな!」
ディスティルの拳から、《聖弾》が飛び出す。何度も何度も、その空気の塊はレフォーナの身体を穿つ。
パァン、パァンとレフォーナの身体に空気の塊が衝突しては弾け、大きな音を鏡張りの空間に響かせる。それに呼応するかのように、鏡が甲高い声を上げる。
その合唱は、しばらく続いた。空気の弾ける音がその場の演奏者たちに合図を送り、狂気の旋律を紡ぎ出していた。
それは止むことの無い、激しい怒りのようであった。
「はあ、はあ、はあ…!」
相当な量の《聖弾》を撃ち込んだ。だがディスティルとてバカではない。たとえ怒りに任せて魔法を使ったとしても、その後に支障が無い程度にはマナを残していた。それでも、大量に撃ち込んだはず。
だが。
彼女に苦悶の表情は見えない。
依然として、冷たい目をディスティルに向けるばかりである。
ディスティルは歯軋りした。
撃ち込んだ《聖弾》の数からして、普通の人間なら跡形も無く消滅しているはず。いかな冒険者と言えど、これだけの量の《聖弾》を受ければひとたまりも無い。
だがこの彼岸花の吸血鬼は、全く動かない。
大したダメージを与えられていないのだ。
「ちっ、化け物が…」
顔をしかめて、ディスティルは吐き捨てた。
「あなたも同じでしょう?」
「一緒に…すんな!」
ディスティルは苦し紛れに、渾身の一撃を繰り出した。
魔力を上乗せされた攻撃には、一撃必殺の威力が込められていた。
そのはずだった。
「同じよ。あなたも私も、蛮族に運命を狂わされた者。お互い自由に生きようとしながら、それを許してくれない悲運の悪鬼。何も変わらないわ」
「一緒にすんなって…言ってんだろ!」
さらに放たれた一撃。レフォーナの体に触れた拳から彼女の体に流れ込んでくる、ディスティルの魔力は彼女に着実にダメージを与えている…はず。
だのに新緑の魔女は微動だにしない。
大地が、彼女に力を与えているのだ。それはどんなダメージも素早い修復を可能にする魔術。
大地の恵みを受けて、レフォーナはそこに立っていた。
「…これだけ殴ったり《聖弾》を撃ったりしたんだから、それなりの報いは受けてもらうわよ」
言って、レフォーナは呪文を描く。
「真、第十一階位の攻。電撃、電撃、滅殺、迅雷――豪雷」
上方から降り注ぐ雷の雨が、ディスティルを襲う。稲妻に貫かれる痛みと苦しみを、ディスティルは耐え切ることができなかった。
魔力が、違いすぎるのだ。
(なんて魔力だ、抵抗すらできないとは…!)
雷を浴び、痺れの残る体を必死に動かして、ディスティルは拳を振り上げた。
振り下ろされた拳をかわして、次の呪文を唱えようとするレフォーナだったが…。
「マギスフィア起動、バーストショット、装填。ターゲット・サイト、照準。発射」
シュルヴェステルの持った二つの銃から、弾が三発連射される。読まれているとは言え、この計六発の銃弾を避けられるものはそうそういない。
六発のうち、一発がレフォーナの体に命中し、体内にダメージを与えた。未だ微動だにしない彼女の背後から、オウルが尻尾を振り回した。
横薙ぎにはらわれた尻尾を避けきれずに、レフォーナは仕方なしに尻尾を掴み、一気にオウルへ詰め寄った。
魔術の腕に比べれば、体術はそれほど強くはないレフォーナだったが、彼女にも軽々と掴めるほどにその尻尾の振りと切れは鈍かった。
「戦いをやめなさい、オウル。私はあなたたちとは戦いたくはない」
そういう言葉、それは真実であった。だがオウルの表情は変わらない。
ディスティルたちの意思は、変わらない。
「無駄だよ、もう」
オウルは苦しそうな表情で呟く。
そう、無駄なのだ。
今更何を言おうと、ディスティルたちの想いは変わらない。
レフォーナ自身、既に「変わらぬ者」だったのだから、そのことは尚更に理解できた。
「…レフォーナさん、あたしだって…あなたと戦いたくない」
でも、戦わなきゃいけない。
何故?
敵だから、蛮族だから?
それとも、あたしたちにウソついてたから?
分からない、あたしにはわからない。
蛮族…。
三本の剣が創りしこの世界…ラクシア。ルミエル、“始祖神”ライフォスを初めとする「調和」や「秩序」を司る神を生み出しけり。イグニス、“戦神”ダルクレムを初めとする「解放」や「混沌」を司る神を生み出しけり。そしてカルディア、この世界に満ちるマナとなりけり。
“始祖神”ライフォスをはじめ、“第一の剣”ルミエルの眷属たちは彼ら独自の文明を築き上げた。後世の学者によって付けられたその文明の名は「神紀文明」。神々と、我々人間…人族の祖であった「小さき人々」が共に暮らした時代。
だがその時代は、突如現れた“第二の剣”イグニスの眷属、“戦神”ダルクレムと、彼の考えに賛同の意を示した小さき人々によって打ち崩されることとなる。
“戦神”ダルクレムの考えに賛同し、魂に穢れを宿して力を高めた結果、生まれた種族が蛮族だとされ、ダルクレムと蛮族の手によって引き起こされた戦争以来、人族と蛮族は決して埋まることの無い溝…崖に阻まれてしまったと言う。
そんな経緯があっても、オウルにはどうしてもレフォーナを敵として見ることができなかった。
オウルの葛藤を、レフォーナは感じ取っていた。
だが、何も変わらない。
変えられない。
掴んだ尻尾を乱暴に振り回し、オウルを投げ飛ばす。細身の体で、筋力もそれほどないレフォーナだが、体の捻りと腕の捻りを重ねればそれはそう難しいことではない。
「戦いたくないなら、やめなさい。今ならまだ…あなたたちを殺さずに済む!」
尻尾から手が離れたときに、一瞬の隙ができた。それをトーマスは見逃さなかった。貫通力を極限まで高めた攻撃が、トーマスの闘気が、穂先に集中していた。
「真、第五階位の攻。衝撃、炸裂――絶掌!」
あと一瞬でレフォーナの体に槍が触れる…そう思った時には、トーマスは馬から転げ落ちていた。
紙一重のところでレフォーナはその攻撃をかわし、反撃として、トーマスに衝撃波を浴びせたのだ。疾風に耐え切れずに、トーマスは馬から落ちたというわけだ。
ディスティルは“始祖神”ライフォスに祈りを捧げ、この場にいる全員を回復させる。だが、ありったけの精神力と祈りをもってしても、それが回復できる量は僅かであった。
「…おとなしく寝なさい。真、第八階位の攻。瞬閃、熱線、気穿――光槍!」
レフォーナは微動だにせず、右手の動きと共に呪文を唱える。すると、マナの槍がディスティルたちを襲った。避けようもないエネルギーの槍に彼らは貫かれ、ズタズタにされていく。
強力な魔力より放たれたエネルギーの槍は、全てディスティルたちを一発で戦闘不能に陥れるほどの威力を持っていた。
恐るべきマナの流れが収まった時には、そこに立っていたのはレフォーナのみだった。
ディスティルも、トーマスも、シュルヴェステルも、オウルも、みんな。
地に伏せていた。
そして、彼女が再び紡ぎ出す、悪魔の言葉は…。
「真、第三階位の攻…」
レフォーナの右手に、光の刃が現れる。そこから発せられる力は、強力だった。
(あなたたちとも、すぐに会えるわ)
「切断、斬刃――」
呪文が完成しようとしている時、そのものは現れた。
「…どうやら、少し死ぬのが遅くなったようね」
クライネ・フェーンハフト。
今までとは纏う雰囲気が違っていたが、それは間違いなくクライネだった。彼女は目の前の状況を見て、唖然としている。
レフォーナ・アルディの乱入によりミラージュは倒され、そのレフォーナはディスティルたちを倒した。
そのことをクライネが理解するまでには、少しばかりの時間が必要だった。
「これは、一体…」
その時点では、クライネは状況がいまいち掴めずに混乱した様子だった。
クライネは戸惑いながらレフォーナの下へ近寄る。さほどに時間は使っていない動きだったが、その流れは相当に遅く感じられた。
…そして、クライネは剣を抜いた。その勢いに任せて、彼女は魔力を纏った刃をレフォーナへと向ける。
魔力によって何倍にも増した切れ味を持つ剣をレフォーナは紙一重で避ける。
剣を振り切った状態のまま、クライネはレフォーナを睨みつけていた。レフォーナはそんな彼女を見て、
「…あのまま引き返していれば、あなたは生きていられたのに」
そう言った。
「私は…仲間を見捨てて自分だけ生き延びるのは嫌だ」
切り上げた刃が返され、クライネの剣は振り下ろされた。その斬撃はレフォーナの体表をなぞり、服を切り裂き小さな傷を付ける。切り裂かれた服から、守りの魔力が込められた衣服…マナコートが姿を覗かせていた。そちらには傷一つ付いていない。
やるつもりか。
レフォーナは魔法文字を描き出し、その手に光の矢を生み出す。それをクライネに向かって突き出す。
(…!)
驚くべき魔力の攻撃に、クライネはそれを避ける術が無かった。エネルギーの矢が彼女の体を貫いて、血を吹き出す。体中に痛みが走るが、その痛みが戦闘に著しい支障を来たすとは考えられない。
クライネは光の妖精を呼ぶと同時に、レフォーナに斬撃を繰り出す。傷がいえるのと同時に、レフォーナの白い肌に傷を付ける。少々の痛みに顔を歪めながら、レフォーナは魔法文字を描く。雷の網が現れ、クライネを取り囲んで補足する。雷の網に締め上げられ、電撃による傷みが発せられ、動きさえ封じられる。
「くっ…うああっ…!」
突如、クライネとレフォーナ、二人の周囲に何かが撒かれたと思いきや、クライネを縛り上げていた雷の網は消え、痛みすら消える。
レフォーナはクライネから目を離して、ある方向を見る。
そこには、辛うじて立ち上がったシュルヴェステルと…、オウルやトーマスの姿があった。満身創痍、まさにそう言った姿であったが、全員諦めていないようだった。
「せやあ!」
ディスティルが背後からレフォーナに殴りかかる。紙一重でその攻撃を二回とも避け、レフォーナは彼と距離を取る。そして、気付いた。
彼らの傷は、先ほどより癒えていた。
ディスティルが《傷癒し》によって全員を回復させたのだろう。
「…全員、まとめて死にたいようね!」
レフォーナは声を張り上げた。その調子は、どこか不安定な響きがあった。
「真、第七階位の呪!」
そして、彼女は魔法文字を描き始めた。それは…呪いの紋章。となれば、あれがくる!
クライネは光の妖精を呼ぶ。このタイミングで使う魔法は、これしかない。だが、問題はどちらの魔法の効力が現れるか、だ。こちらの魔法が先に効果を表さなければ、確実に負ける…!
「鼓舞せよ!」
「簒奪、縛呪、魔呪――盗魔!」
黄色と黒、二つの魔力のきらめきがそこにいる彼らを包んだ。
…先に消えたのは、黄色の光。黒の光はその直後に消えたが、それが何らかの効果をもたらしたとは考えられなかった。
「何…?」
「《勇気ある心》。どんな呪いも、この魔法の前では無力だよ」
クライネはレフォーナを斬り付けていた。その斬撃はレフォーナの体にまた一つ切り傷を付ける。着実にクライネとディスティル、そしてオウルはダメージを与えている。しかし、彼らが与えるダメージはその殆どがすぐ回復できる程度の、微小な量だった。そして…トーマスは馬と共に相当な距離を走りぬけ、強力な突撃を繰り出した。
「そんな攻撃が…効くとでも!」
レフォーナにトーマスの槍が命中した…そう思われた瞬間、彼女の姿が消え、彼女はトーマスの背後にいた。
「真、第四階位の攻。閃光、電撃――稲妻!」
稲妻が一直線にクライネ、ディスティル、オウル、そしてトーマスと馬を貫いて、彼らに多大なるダメージを与える。
「ぐあああああああああああ!」
だが、尚彼らは立ち上がる。
シュルヴェステルは、両手の拳銃をトーマスとディスティルに向け、銃弾を放った。それを彼らは避けようとはせずに、敢えて当たる。弾に込められた癒しの魔力が彼らのダメージを回復させていく。
クライネは光の妖精の加護を、自分を含めディスティルたちに与える。これで彼らの耐久力は上がる。
そして、彼らがその戦いを展開している最中。
その力は、深き場所より目覚めようとしていた。
…魔法使いが最も恐れるものが二つある。
一つは、自身が敵の刃に晒されること。
基本的に護身用の技能を持たない彼らは、敵の物理的な攻撃への対処法が殆ど存在しないのだ。
おまけに、重い鎧は手足の動きを阻害する。鎧が邪魔となり、魔法文字が描きにくくなってしまうのだ。
故に、必然的に魔法使いは軽装であることを求められる。その上、物理攻撃に対する耐久力すら低くなってしまうのだ。
もう一つは、自身の体内に存在するマナが枯渇すること。
当然と言えば当然である。自身が戦う手段である魔法は、体内のマナを魔力に変換して魔法を発動させる。
つまり、体内のマナが無ければ魔法は使えないのだ。
魔法が使えない魔法使いなど、ただの人に過ぎない。
レフォーナ・アルディに対しても、それはあった。
いくら戦士としての心得もあるとは言っても、レフォーナの本業は魔法使い。魔法使いとしてのレベルに比べれば、彼女の戦士としての能力は、レッサーヴァンパイア程度の能力でしかない。
ともなれば、魔法の尽きたレフォーナがディスティルたちに倒されるのは時間の問題だった。
「やああああああああああああ!」
「だああああああああああああああああ!」
クライネとディスティルは、二方向から同時に攻撃を繰り出した。
クライネが放った魔力撃が、レフォーナのわき腹を切り裂き、痛みに仰け反ったレフォーナをディスティルの放った、最後の魔晶石を使った神の拳が襲い掛かり、衝撃波がレフォーナの体を弾き飛ばす。そうして飛ばされた先に、オウルが待ち構えていた。
「はああああああああああ!」
レフォーナの服を掴み、小さな体なりに回転によって付いた勢いを利用してオウルは思い切り彼女を投げる。宙に浮いた彼女を、シュルヴェステルは二丁の拳銃で撃ち抜く!
二発の銃弾が彼女に多大なダメージを与え、彼女は地面に叩きつけられる。そして…。
トーマスが振り下ろした槍が、レフォーナを貫かんと舞う!
「くっ…私は…、私はッ…!」
眼前に迫る穂に、レフォーナの顔色は恐怖に染まる。
…どうして。
既に死ぬことに対する恐怖は捨てたはずなのに。
死ぬためにここに来たのに。
何で、ここに来て怖いと感じるのだろう。
…嫌だ、死ぬのは。負けるのは。
「生きたいのよッ!」
そうだ。
このまま死ぬのは嫌だ。
私は生きる。生きたい。人族として、「生きたい」。
だから…。
「レフォーナ…」
「レフォーナさん…」
トーマスの槍が振り下ろされる速度が、かなり遅く感じられた。一瞬は永遠に引き伸ばされて、ずっとその瞬間に存在しているかのような感覚があった。
クライネとディスティル、そしてオウルとシュルヴェステルは何とも言えないような顔をしていた。
それを確認すると、レフォーナは微笑んだ。
…その表情は、嬉しさと、虚ろさが同居しているようだった。
(そう。どうせ叶わぬ望み…)
独りじゃない。
そんな単純なことが分かった時、レフォーナの心にかかっていた霞は祓われた。
だが…。
遅すぎたのだ、全ては。
レフォーナの心の臓を、トーマスの放った一撃は貫いた。
その瞬間、トーマスの槍が激しい閃光を放った。目まぐるしく色を変化させる光が辺りを包み、彼らの視界が光に呑まれる。
彼岸の吸血鬼の体は霧と化していき、その霧は暖かい光を伴って散り散りになる。そこに存在していた魂は黒ずんでいたが、徐々にその色を薄めていき、清らかで淡い光を放つようになった。
光が収まったとき、そこに残っていたのはレフォーナの衣服のみだった。
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