「賛美曲」の主人公はレフォーナだったのではないかと今更。
深き闇の中、光にきらめく力があった。
――我が試練を乗り越えしものよ…。
その力は、鏡のようであり、霧のようでもあった。
――我が力、目覚める時は来たれり…。
掴もうと思っても決して掴めぬ。
その力は、さながら逃げ水のようで。
――哀しきものよ、我を求め、死と解放を求めるものよ…。
「蜃気楼」の呼び名に相応しい、魔性の力だった。
――そなたに新たな力と命を授けよう。清らかな魂と救いを、そなたに授けよう…。
光も闇も、右も左も、自分が誰で、どこにいるのかも分からない中、彼女はそこに漂っていた。
何も無い空間。何も見えず、聞こえない。そこにただ、流れるような感覚の中のまどろみに身を預けていた。
そんな中、彼女はある場所にたどり着く。
「あなたは…」
彼女が「見上げた」のは、どこか美しい存在だった。
「…私は、あなたの下へ行くことができたのですね」
「でも、あなたはすぐに戻らなきゃならないわ」
彼女の「後ろ」から彼女に「声をかけた」のは、メイル・フェーンハフトだった。
「どういうこと…?」
「やり直すの。あなたのままで、あなたの人生を」
「私の、人生…?」
「そう。蜃気楼があなたの魂を救って、新たな命として蘇らせようとしているの」
「蜃気楼が?」
思わずそう「聞き返して」しまったが、メイルはそれに答えることはせず、
「人族のあなたは、三百年前のあのときに死んだわ。あなたはあなたの全ての記憶を取り戻した上で、人族としてやり直せるの」
そう言った。
「やり直す…」
そう呟くその言葉は、自分でも驚くほど透き通った声を含んでいた。
「さあ、行きなさい。今度は幸せになってね」
急に流れるような感覚が消え、その存在の下から引き離されていった。
ボロボロになった緑の衣装を、彼らはただ見つめていた。
もう、この服を着るものはいない。どこにもいない。
そして、その服を着ていたものは、彼らの仲間だった。
「…俺は、何であんなことを言ったんだ」
力なくディスティルが呟く。それは、彼なりの想いを言葉にしたものだった。
ただ後悔と、そんな自分へのやるせない憤りがあった。
何故今の今まで正体を隠していたのか。ディスティルが問いただしたかったのは、まさしくそれだった。
しかし、レフォーナが返したのは、ディスティルの怒りを更に煽るような答えだった。
まるで何かを諦めているかのような、そんな響きがあったと、今となっては感じられる。
「レフォーナさんは、何で…」
オウルも、その場にいる全員が、それぞれの疑問を口にした。
だが、答えるものは誰もいなかった。
「…そなたらの疑問、我輩がその問いに答えよう」
不意に、声が響く。どこからともなく、彼らの頭に直接響く。
気付けば、台座に刺さっていた剣はいつの間にか消えていた。
「ミラージュ…」
その声の主の名を、そこにいた全員が口にした。
「彼奴…レフォーナ・アルディは、高位のノスフェラトゥによってヴァンパイアになった。三百年前のことだ」
蜃気楼はレフォーナにまつわる過去を語り始めた。
それは、メイル・フェーンハフトが最後に伝えた情報。レフォーナ・アルディの正体と心の闇。
蜃気楼が話を終えても、誰も喋ろうとしない。
何をどう言えば良いのかを掴みきれずに、言葉が出ない状態なのだろう。
「彼奴は今、転生の流れを漂っている」
「…え?」
その言葉に、彼らは顔を上げた。
「既に彼奴の魂の穢れは取り除かれている。今度は人族として真っ当な人生を送れるであろう」
途端に彼らの顔が一変する。
悲しみ、戸惑い、そういったものに彩られた顔から、安心、喜び、そういったものが心の芯からこみ上げてくるかのような顔に移り変わっていった。
レフォーナ・アルディの望みを、蜃気楼は聞き入れたのだ。
「さて、そなたらには我輩の力を知ってもらわねばならぬな」
その知らせに小さな歓声を上げる彼らに、蜃気楼は告げた。彼らは真剣な表情になって、蜃気楼の言葉を待った。
「我輩が持つ魔力は『不死殺し』。その名通りにノスフェラトゥやアンデッドを殺す魔剣である。我輩の力が宿った武器でそれらを倒せば、ノスフェラトゥは香灰を残さず消え去りその魂を浄化する。これはアンデッドに対しても同様である」
不死殺し。
アリオブルグも求めていた、その力をその刀身に宿す魔剣。彼もまた、蜃気楼に惑わされたものなのかもしれない。
「我輩は実体を持たぬ。故に我輩の力はそなたらの武器にそれぞれ宿る。先ほどそなたらの武器に我が力を宿した。この力、正しく使うがいい」
そう言ったきり、蜃気楼は彼らに語りかけることをやめた。
彼らは何も喋ろうとはせず、ただそこにいた。
既にここにはいないものに想いを馳せるもの、自分の行いを振り返り、後悔するもの、ただ戸惑っているもの。
だが、最終的に彼らが思うことは…。
「これで、ミラージュを手に入れたの…?」
オウルが言った。
実感が湧かない。だが、確かに彼らが自身の武器を見つめたとき、そこから発せられる強い波動を感じた。
…ミラージュ。その「魔剣」の真実を、彼らは悟った。使用法から特性までの全てのミラージュにまつわる事柄を、彼らは掴んでいた。
しばらくはずっと黙っていた彼らだったが…。
「やったあああ!」
彼らは一斉に想い想いの言葉で、それぞれの感情を表現した。
「一時はどうなるかと思ったよ…」
オウルは胸を撫で下ろし、そう言う。
『よく生きてこられた』
「オウルは一回死んだけどな」
「お前、それは言うなよ」
「ぶっちゃけどうでもいい」
「ボケ要員は黙ってろよ…」
『ショットガン・バレット撃つぞ』
「何で私に銃口向けるの。私は関係ないよ!」
…試練の最中にオウルは死亡し、レフォーナによって蘇生された彼女はその魂に穢れを宿してしまった。
だが、それもまた自分で選んだこと。アリオブルグではないが、「穢れは人に与えられるものではなく自分で取り込むもの」だと、今のオウルは理解できた。
自分で取り込むものだからこそ、その行動には責任を持たなければならない。この先オウルがその穢れでどんな仕打ちを受けようとも、それは自分の選択の末引き起こされた結果なのだ。受け入れるしかない。
(あたしは生きるよ、レフォーナさん。あなたがくれた命を、ずっと大事にして)
あのまま死んでいれば、楽だったかもしれない。だが、未練を残したまま死にたくはなかった。それがオウルの選んだ道だった。
だから、後悔などしない。
(いつか、あなたとも逢えるといいな…)
「にしても、俺ももう少しで取り返しの付かないことになっていたよな」
ディスティルも、これまでの道のりを思い返していた。
この迷宮でのことだけで、三回も《穢れの刻印》を発動させてしまった。
…だが、ここに来て彼の背中が熱を感じた。異変を感じて彼は上着を脱ぐ。
「どうした、ディー?」
いきなりの行動に不信感を覚えながらも、彼らはそのようなことを言った。
不意に、彼らはディスティルの背中から瘴気が発せられていることに気付いた。
「これは…?」
「何だ、この模様。瘴気を出しながら消えていく…」
それは《穢れの刻印》。ドレイクによって与えられたその刻印が、ディスティルの背中から消えていく。そして…彼の魂の穢れは少しだけ消えていく。付加された穢れによる身体への影響はその刻印以外に無かったために、そのことは誰にも分からなかった。
「《穢れの刻印》が消えた…?」
どういうことか分からなかった。
とにかく、言えることはただひとつ。
ディスティルを蝕むその呪いが解かれたのだ。
「…諦めてくれたってことか」
これで、ディスティルは真に安堵を手にすることが出来たのだった。
「なんだかよく分からないけど、良かったね」
オウルもクライネも、トーマスでさえ、そのような言葉を放った。トーマスの言葉は若干嫌な響きを含んでいたが。シュルヴェステルは言葉を放ったわけではなく書いていた。
「ところでクライネ、服装変わったね」
「え、ああ。そういえばそうだったなあ。あはは…」
クライネは力の抜けた笑いを漏らした。
(いきなりの戦闘で、服が汚れちゃったかな…)
作ってもらったばかりの服を汚すわけにはいかなかったのだが、状況が状況だった。仕方ない。
ふと自分の服を見ると…。
「あれ、たしか《光矢》でお腹刺されたはずじゃ…」
布に血が全く付いていないのがわかった。穴すら開いていない。それどころか、至る所に付けられた焼け跡と返り血すら消えている。
どうやら、時間と共に自動修復する魔力と、血を弾く魔力が込められているようであった。魔法によるダメージを減らしてはくれないが、それでも高等な技術で作られた服であることには変わりがない。
しかも、デザインの関係上クロースアーマーすら着込めないにも拘らず、ハードレザー並の防護点すら持っている。先程の戦闘にて、それが発覚したのだった。
「これって、こんなすごい服だったんだ…」
『データ的にはハードレザーそのもの』
「なにそれこわい」
『本来なら防具は特殊能力以外では絶対に壊れない』
「ゲーム的なことを言うね」
必要筋力十三の服ってどれだけ重いのか。ディスティルとトーマスはそれが気になりはしたが、何も言うまい。
「後は帰るだけだね」
少しばかりの沈黙のあと、オウルが言った。
「そうだな」
『さっさとかえろう』
ディスティル、シュルヴェステルも同調する。クライネやトーマスも、それに同意する。
こうして、彼らは帰路に就いた。
(ミラージュ、ありがとう…。ラックや母さん、父さんとの出会いと戦い、その中で私は自分の気持ちと向き合うことが出来た。その機会を与えてくれたあなたに、今はただ…)
蜃気楼の迷宮を後にしたとき、クライネ・フェーンハフトはこう「ミラージュ」に語りかけた。
過去は消えない。だが、乗り越えられる。
生きている彼らには、どんなことだって不可能ではない。その意志と力で、何もかも乗り越えていける。
それだけの強さを、ミラージュは与えてくれたのだ。そのことを、恐らく一番分かっていたものは、既にそこには存在していなかったのだが。
一週間のときを経てクイーンズタウンに戻ってきたとき、彼らのとても長い「蜃気楼の旅」は終わりを告げた。
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